一九五一年に作成された「難民条約」は、国連難民高等弁務官制度とともに国際的な難民保護制度の主柱の一つであるというだけではなく、難民条約は、ある意味ではより基礎的である。難民条約は、その加入国に対して、難民保護に関する様々な事項について一定の義務を課している。難民保護は、結局のところ、各国がその領土に、永続的にまたは一時的に受け冬れることに始まるのであって、UNHCRの任務がいくら重要だといっても、それは、各国による保護の調整と、せいぜい、とりあえずの物質的援助を行なうことができるにすぎない。国連は、各国に対して、その領土に難民を受けいれるよう、命令したり、強制することはできないのである。
民条約は、難民保護のための「マグデ・カルタ」である、としばしばいわれる。そのようにいわれるだけの重要な原則を、難民条約は含んでいる。しかし、ジョン英国王が署名した本当のマグナパカルタが、民主主義の、完成された諸原則であるという理由によってではなく、国王の権力に対する封建貴族の抵抗の論理が民主主義の後の発展の源流となったという理由で、今日高く評価されているのと同様に、難民保護のための、この「マグナ・カルタ」も、難民保護に関する完成された諸原則の体系ではなく、より整備された難民保護原則が、これを基礎として今後、発展することが期待されるのである。見方をかえていえば、難民条約には、なお様々な問題点が残っている。
世界全般の状況をみると、迫害を理由とする難民ばかりではなく、内戦、内乱、深刻な政治的混乱、極度の貧困、飢餓状態など様々な理由で転々と移動する難民が生じている。実際に生じた多数の難民が、必ずしも迫害を理由とする難民ではないと推察される場合でも、難民条約への加入がしばしばで国際会議の結果、未加入国に呼びかけられるのも、難民保護活動についての、難民条約による精神的な支えが期待されているからである。
一九九〇年八月末現在で、難民条約または難民議定書の両方、またはいずれか一方に加入している国は、一〇七力国に達している(両方に加入している国一〇〇力国、難民条約だけに加入している国三力国、難民議定書だけに加入している国四力国。巻末付表参照)。他方、ユーゴスラビアとハンガリーを除くソ連・東欧諸国、日本、フィリピン、中国と中近東の一部を除くアジア諸国、多くの中米諸国が、現在も未加入のままである。
難民条約は、UNHCRの他、西側諸国を中心とする二六力国の政府代表、二九の非政府組織(NGO)代表と二つの国連専門機関によって作成された。各加入国が条約実施についてUNHCRの監督に服することが定められていることから示唆されるように、難民条約は、難民高等弁務官制度と制度上、車の両輪のごとく密接な関係におかれている。また別の見方をすれば、両者は共通の政治的背景のもとに成立した。
すでに説明したように、UNHCRの制度では、その発足の当初、第二次大戦前からの難民と戦後のソ連・東欧難民が、その保護の主たる対象とされた。この制度でも、難民条約でも、保護の対象として「迫害をうける者」が掲げられているが、西側諸国政府の見方によれば、ソ連・東欧では、人々が祖国を脱出せざるをえなくなるような「迫害」が行なわれている、というのであった。このような政治的見方が、「迫害」とトう抽象的な、しかしまた普遍的な言葉のオブラートに包まれた。
2015年9月5日土曜日
金融界の国際標準
純血主義の限界をやっと悟ったのか、ようやく邦銀のなかにも、外資系で成功した専門家を役員に迎え入れたり、金融工学の権威である大学教授を招聘したりして投資銀行業務に本格的に取り組む動きが見られるようになった。しかしその程度では、とうていバルジブラケットの投資銀行と対抗できるレベルに達したとは言いがたい。
だが、投資銀行化とは、単なる金融技術の問題ではない。C氏が言うように、日本の金融機関が、これまで体験したことのない異文化集団を抱えこむことを意味する。とすれば、投資銀行化の成否は、「企業文化を米国型に変えること」ができるか否かを問うことでもある。それは可能なのか。また、そうすべきなのか。問題の広がりは金融再編の行方をうらなう次元にとどまらない。投資銀行のカルチャーは、今日、金融界の国際標準とされる英米流の経営システムを極限にまで推し進めたものだからである。
私が、短い間、身を置いた米国の投資銀行ソロモンの物語から始めよう。年末近くのホテルの宴会場。バンドの生演奏が華やかな雰囲気を高める。テーブルにはワインと料理が並び、スタッフの面々は、すでに相当アルコールが入っている。やがて壇上に会長が登り、次々と新任のマネーシングーディレクターの名前を読み上げる。
呼ばれた方は紅潮した面持ちで壇上に駆け上がり、会長と握手して並ぶ。皆、およそ三十代である。そこへ彼らの秘書たちが花束を捧げ、あまり熱狂的とはいえぬ拍手がわく。昇進できなかったスタッフ、もともとその望みのない事務方が自棄気味にグラスをあおる。会長に促されて、昇進組は一人ずつ挨拶を始める。「これで彼女が欲しがっているポルシェが買えます」
九〇年夏、冒頭に記したホアーゴベットの「首切り」を終え、会社の期間損益が黒字に転化したので、そろそろ引退して大学の非常勤講師の口でも探し、静かな生活を送りたいと願っていた私に、米国の投資銀行ソロモンから、東京に銀行を作るので手伝ってくれ、というアプローチがあった。
だが、投資銀行化とは、単なる金融技術の問題ではない。C氏が言うように、日本の金融機関が、これまで体験したことのない異文化集団を抱えこむことを意味する。とすれば、投資銀行化の成否は、「企業文化を米国型に変えること」ができるか否かを問うことでもある。それは可能なのか。また、そうすべきなのか。問題の広がりは金融再編の行方をうらなう次元にとどまらない。投資銀行のカルチャーは、今日、金融界の国際標準とされる英米流の経営システムを極限にまで推し進めたものだからである。
私が、短い間、身を置いた米国の投資銀行ソロモンの物語から始めよう。年末近くのホテルの宴会場。バンドの生演奏が華やかな雰囲気を高める。テーブルにはワインと料理が並び、スタッフの面々は、すでに相当アルコールが入っている。やがて壇上に会長が登り、次々と新任のマネーシングーディレクターの名前を読み上げる。
呼ばれた方は紅潮した面持ちで壇上に駆け上がり、会長と握手して並ぶ。皆、およそ三十代である。そこへ彼らの秘書たちが花束を捧げ、あまり熱狂的とはいえぬ拍手がわく。昇進できなかったスタッフ、もともとその望みのない事務方が自棄気味にグラスをあおる。会長に促されて、昇進組は一人ずつ挨拶を始める。「これで彼女が欲しがっているポルシェが買えます」
九〇年夏、冒頭に記したホアーゴベットの「首切り」を終え、会社の期間損益が黒字に転化したので、そろそろ引退して大学の非常勤講師の口でも探し、静かな生活を送りたいと願っていた私に、米国の投資銀行ソロモンから、東京に銀行を作るので手伝ってくれ、というアプローチがあった。
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