私か通い慣れた中・東部ジャワ、とくにジョクジャカルタ市のあたりは、ジャワ族の人口が絶対多数を占める地域である。農村ではもちろんのこと、都市でも地元民どうしの日常会話はジャワ語で行われることが多い。同じジャワ島でも、その西北端に位置する首都ジャカルタの住民構成はこれとはまるで違う。
ふつうジャカルタの先住民と考えられているのは、独特のマレー語方言を話すブタウィ族と呼ばれる人々である。しかし、全国各地から移住者を受け入れてきた結果、今日のジャカルタの人口は大小多数の種族の混成と化している。また異種族間の通婚も多く、その結果生まれた子供は特定の種族に対する帰属意識を失う場合も珍しくない。その結果ジャカルタでは、特定の地方語ではなく、ブタウィ語の影響を多少受けたインドネシア語が巷に飛び交う日常語となっている。
ジャカルタでの私の勤務先となったインドネシア大学日本研究センターでも、スタッフの種族別構成は多様だった。教職員あわせて三十数名のうち、人数がいちばん多いのはジャワ族だったがその比率はせいぜい三割程度、しかもそのうち何人かはジャカルタ生まれでジャワ語は話せないのである。インドネシア大学のキャンパスのある首都近郊のデポック市で、私はこののち一九九九年に日本研究センターの研究員たちと、新興住宅地住民九〇〇世帯ほどを対象とする社会学的調査を行った。その調査結果を見ても、種族別人口比率は、ジャワ族三四パーセント、ブタウィ族二六パーセント、スンダ族一六パーセント、ミナンカバウ族八パーセント、バタック族三パーセント、その他一三パーセントとバラエティに富んでいた。
ジャカルタで強烈に印象づけられたことの二番目は、エリートと庶民の間の所得水準と生活様式の格差の大きさであった。第二次大戦後の高度経済成長を経る間に、農村と都市、また大企業と中小企業の間の所得や生活水準の格差が縮小し、国民全体の教育水準が高まった現代日本では、「知識人と大衆」「エリートと庶民」といった二分法で国民を上下に分類する用語法はほとんどリアリティを失った。
いわゆるバブル経済期以降、日本における社会階層間の格差はふたたび拡大または固定化する傾向にあると言われるが、その格差の程度は戦前期日本の場合とは比較にならない。しかしインドネシアでは、「エリートと庶民」という二分法は、今でも鮮明なリアリティを保持している。エリートと庶民の乖離という二極化現象はインドネシアの社会全体に共通するものだが、ジャカルタではそれがとくに視覚的にいちじるしい。たとえばそれは、都市社会の空間的構成に端的に現れる。