2012年7月2日月曜日

世界の空は自由化花盛り

日本の空の自由化はまだ始まったばかりだが、世界の空はすでに自由化真っ盛りだ。米国では、一九七八年に始まった。目的は、「米国経済の活性化」だった。

規制緩和による競争の促進を図ることによって、インフレを抑制しつつ活性化するとともに、財政の
健全化を図るために行政の効率化、官僚機構の縮小化を目指すという狙いがあった。

骨子は国内の航空事業を長年にわたって規制してきた民間航空委員会(CAB)の廃止を含め、経済的規制を三段階で廃止したことである。安全面で連邦航空局の規制・指導は受けるが、需要供給面での規制は緩和どころか撤廃された。

規制撤廃後のI〇年間に航空会社は、新たに二三三社が誕生し一九六社が消えていくという激しい競争にもまれたが、国内線の乗客は二億六七〇〇万人から四億五五〇〇万人へと七割も増加し、運賃割引による利用者の節約は、総額七五億ドルに達したと算出されている。

一方欧州の方は、段階的に規制を緩めていく自由化が特徴だ。自由化の先頭に立っている英国は、「消費者利益の保護のための、航空輸送のあらゆる分野への公正なJ餌争関係の導入」を掲げ、サッチャー政権は「原則規制なし」の自由化政策をドラスティックに進めた。欧州では規制緩和に慎重な国もあるが、EU全体で自由化を進めつつある。

日本では行政改革、経済構造改革の規制緩和の一環として進められてきた。特に旧運輸省が航空自由化を実践した背景には、省庁の中でもっとも多くの許認可権をもっていることが明らかになり、早急にマイナスイメージを払拭しなければならなかったからだ。

そのためには国民に成果をわかりやすくアピールできる分野として、まず航空が選ばれた。したがって、自由化のビジョン、国民の生活に果たす自由化の役割についての理論づけがまだ浅い。

いずれにせよ、世界の空は「自由化の時代」を迎え、エアラインも空港も激しい競争になっている。

製造上のミス

現在飛んでいる機体では、かつてマクダネル・ダグラスのDC-10が問題になった。エンジンの溶接部分の設計ミスが原因で、飛行中にエンジンの回転数が落ち、出力の低下につながるとのことだった。

米国の国家運輸安全委員会の調査では、二〇〇機以上のDC-10から指摘された部分の溶接不良が見つかった。

航空機はハイテク技術が駆使されているだけでなく、数多くの部品が使用されている。ジャンボ機を構成している部品は、六〇〇万点にも上る。

しかも、近年は国際協調が進み、部品の生産は世界中で行われている。航空機事故は世界中で起こる。事故の原因調査には、事故の起きた国、運航エアライン、機体の製造メーカーからの調査団が派遣される。

一見すると、それぞれの分野での最高レベルの専門家が集まり原因調査が進められるのだが、現実には責任問題になると国際的信用に響くことから、原因は自己責任の転嫁、他国への責任の押し付け合いとなるのが現状だ。

人間とコンピュータの不協和音が事故を誘発

最近注目されているのは、人間とコンピュータの不協和音が事故を誘発するケースだ。自動操縦装置はパイロットの仕事を大幅に軽減した。さまざまな計器をいちいちチェックしなくとも、コンピュータが操縦に必要なデータや問題の生じている箇所を表示したり、パイロットの操縦の補助業務をやってくれる。

したがって、離陸し安定飛行に入ってから自動操縦に切り替えれば、コンピュータが飛行機を目的地上空まで安全に飛ばしていってくれるので、パイロットの疲れははるかに少なくなった。

しかし、コンピュータを過信したり、使い方を間違えると大変なことが起こる。一九八三年にサハリン沖で旧ソ連軍の戦闘機によって撃墜されてしまった大韓航空のジャンボ機は、飛行コースを自動操縦装置に入力する際にデータを取り違えたために、機体が通常のコースをそれて旧ソ連領空に侵入してしまった可能性が高い。

九二年にフランスのストラスブール近郊のアンゼーム空港に着陸しようとしたエールアンナールのエアバスA320が空港手前のセン・オディール山の尾根に激突した事故も、自動操縦装置の入カミスが原因だった。

パイロットは降下率モードを三・三度にしたつもりで、緩い角度での降下を意図したのだが、実際には降下速度モード三三と入力してしまったため、A320機は毎分三三〇〇フィートという急な降下をした。

九四年に名古屋空港に着陸の際に墜落した中華航空のエアバスA300機のケースでは、中華機の機長が自動操縦装置を使用して着陸をしようとしたつもりが、誤って「着陸やり直し」のレバーを入れてしまっていた。

機体が上昇する体制にあることを察知した機長は手動で着陸しようと操縦梓を下げたが、飛行機はますます逆らって上昇しようと補助翼を操作し、機長とコンピュータが反目する形となって失速した。エアバス社の旅客機の自動操縦装置は、人間の判断が優先される設計になっていなかったのだ。

米国系メーカーの自動操縦装置は、人間とコンピュータが反目する状態になったときには、コンピュータの方が自動的に解除されて人間の判断が優先される設計になっているのだが、エアバス社の設計は指示(入力)が変更されない限り、コンピュータはあくまでも忠実に業務を遂行しようする(同事故後、日本の指摘を受けてエアバス社も設計を変更した)。

いくら高性能なコンピュータを搭載していても、パイロットとの協調がなければ役に立たない。事故のたびに調査委員会が設けられ、原因が判明すれば対策が打たれるが、機体の進化も激しいために、次々と新たな要因も生まれてくるのは残念なことだ。

飛行機りクセが強すぎる

斬新なアイディアや技術を使った飛行機は、それがゆえに強いクセをもつ。クルマと同様だ。中・短距離用ジェット機として一九六二年に初飛行したボーイング727は、距離の短い区間でも早く高い高度へ到達し、高い高度から短時間で着陸するために面積の小さな主翼と高揚力装置を採用した。

同時に、三基のエンジンを後部にまとめて配置するというユニークな設計も採用したため、上昇力や降下率の大きな機体が実現したのだが、パイロットが飛行特性をのみ込めず、初期には着陸の失敗による事故が相次いだ。

マクダネル・ダグラスMDI-11は、第三エンジンが尾翼についているため重心が後ろにあることに加えて、機体の釣り合いや安定性を保つスタビライザー(水平安定板)が小さいために過敏な反応をする。

飛行中に自動操縦装置を手動に切り替えると機体の姿勢が急激に変化したり(九七年香港発名古屋行きの日航機が激しく揺れてコー人が死傷)、安定を保ちにくい(九九年中華航空機が香港国際空港で強風の中着陸に失敗し、機体が仰向けにひっくり返って二人が死亡、二II人が負傷)などの特性がある。これらは欠陥とはいえないが、通常の旅客機には見られない過敏な特性である。

また、かつて旅客機も製造していたロッキードとコンベア社の機体はユニークな設計が特徴だったが、クセのあることでも有名だった。

六〇年代に中距離路線用のジェット機として活躍したコンベア880などは、ペテランパイロットたちからは「自分たちの操縦に機敏に応えてくれ、こんなにおもしろい機体はない」と絶賛される反面、新人パイロットからは「操縦しづらい」との声が上がるなど、評価が大きく分かれた。

つまり、ベテランパイロットの豊富なエアラインでは安全であっても、新興のエアラインでは危険な機種となる。

「飛んだ」欠陥機

新型の飛行機は、すべて「未知の要素をもっている」といってよい。新機種の開発とは、それまでにないものをつくり出すことである。既存の機種よりも「より速く飛ぶ」「より大勢の乗客を運べる」「より遠くに飛べる」など新たな性能を発揮するために、新たな技術が数多く盛り込まれる。その結果、予期せぬことが起こり得る。危険な飛行機には、①設計上の欠陥をもつ、②飛行機のクセが強すぎる、③製造上のミス、などがある。

設計上の欠陥をもつ

「設計上の欠陥」が明らかになったことで有名な例は、英国のコメット旅客機だ。世界の航空産業界は、高空を飛ぶジェット旅客機の「金属疲労」の問題を知らなかったため、一九四九年に世界初のジェット旅客機となったデーハビランド・コメットは就航一-二年の間に三機の墜落事故を引き起こした。英国は国の名誉をかけて、地中海の海の底に沈んでいた機体の残骸を海軍まで動員して引き揚げ、事故原因を突き止めた。

ジェット旅客機はプロペラ機よりもはるかに高空を飛ぶのだが、空気の希薄な高空で地上とほぽ同じ与圧をかけられた機体は膨らむ。地上へ戻ると元の状態になるわけだが、飛行を重ねているうちに機体は伸び縮みを繰り返し、弱くなった箇所に亀裂が入り、機体が破壊されたのであった。

その後に開発されたジェット旅客機は、「金属疲労」を念頭において設計を行うとともに、部品の耐用年数を定めている。

ボーイング747ジャンボ機の初期型(1100-200型)では、胴体の翼の付け根付近に配置されていた四〇〇本近い電気配線の東が近くにある中央燃料タンクを暖めるために、燃料タンクの爆発事故を引き起こす可能性が高いとみられている。

九六年にTWAのジャンボ機が空中爆発を起こし大西洋に墜落した事故調査でも、タンクが暖められて内部で気化した燃料に、残量を測るためにタンク内に設置されている配線につながる電気回路でショートした火花が着火して爆発した可能性が高いと報告されている。

1100-200型では、燃料タンクとエアコンの間に断熱材を置くよう改修が行われたが、新型の1400ではこの箇所の設計は一新され、危険性は排除されている。

世界中で三七〇〇機が飛び回っているボーイング737には尾翼に深刻な問題がありそうだ。「古いモデル(100-200型)は方向舵に設計上の問題があり、最新モデル(300型以降)は水平安定板に不安を抱えている」(前掲メアリー・スキアーボ著『危ない飛行機が今日も飛んでいる』)。

300型以降のB737には水平尾翼を補強する設計変更が行われ、何度も改修指示が出されているが、根本的には解決されていない。

二〇〇〇年九月、米連邦航空局が「九〇年代に墜落事故を起こした二件のB737型機の原因は方向舵にあった」と公表したことを受けて、ボーイングは同型機の方向舵に装備されている制御システムを二〇〇三年から全面交換すると発表した。




船よりも大きな飛行機り登場

一九五四年に日航が初めて国際線に乗り出したときに使用していた国際線用「大型機」ダグラスDC16Bのペイロード(搭載可能重量)はコ∵七トンしかなく、乗客の定員は六〇名(国際線用仕様)だった。六〇年代に民間航空もジェット化時代を迎え、乗客数とスピードは約二倍(一〇〇人、九〇〇キロ)になり、太平洋横断はコー時間、ヨーロッパへは一七時間に縮まった。

だが、海外旅行がほんとうに楽になっだのは、七〇年代のジャンボ機の就航からである。座席スペースがI・五倍に広がってくつろげるようになり、通路が二本になったので、トイレのついでに機内で少々散歩をするゆとりもできた。

ジャンボのすごさは搭載量にある。当初のジャンボ機でも乗客の定員三六〇人、最大離陸重量が三三三・四トンと通常のジェット旅客機の四機分の輸送力があったが、現在活躍しているボーイング747-400(最大離陸重量三九四・六トン、ペイロード三九・五トン)は、乗客を最大四三〇人(国内型五六八人)乗せて、東京からニューヨークやロンドンを上回る一万二三〇〇キロを無着陸で飛行できる。

このように多くの乗客を乗せられるようになった要因は、エンジンの出力の向上だ。プロペラ機のDC-6Bは四基のエンジンの合計でもI〇トンの推力しかなかったが、ジャンボの1400ではI〇七・七トン(一基あたり二六・九トン)と一〇倍にも増えている。

そして、最新型のボーイング777-300ではさらに増加し、二基で八一・八トンと、一基あたりの推力は五二%も強化されている。その結果、二基のエンジンながらも五五〇人の乗客を乗せて一万五〇〇キロをマッハ〇・八三で飛行できる性能と、初期のB747よりも一座席あたりの運航コストが三分の一安くなる経済性をもつ。

大型化の次の目標は1000人乗りの超大型機だ。口火を切ったのはエアバスだった。全長六九・七メートル、総二階建ての胴体のA380-800は国際線仕様で五五五席、オールーエコノミーの国内線仕様で八五〇席の巨体だ。

開発費用は一〇七億ドル(約一兆二六七〇億円)だが、二〇〇六年から納入を開始できるという。機内のスペースが広いということで、ゆったりとした座席スペースやラウンジなど共用スペースが魅力だ。

対するボーイングも、現行のジャンボ機の胴体を延長して四六〇席とする500と、五五〇席(国内線仕様で七五〇席)の-600の「ボーイング747X」計画を発表してエアバスの動きを牽制したものの、まだエアラインの購入意欲が弱いことを理由に開発の凍結を発表した。

ところがエアバス社がしっかり注文を集めていることが明らかになり、あせったボーイングは、代わりに-400の搭載能力を一六%増やした国際線用で最大五三一席、国内線用で最大六六〇席の「ボーイング747X」の開発を行う意向を明らかにしている。

ボーイング社のセールストークは、現用の機体をベースに開発するので、開発コストが少なく、開発期間も短い(二〇〇五年に就航可)、というものだ。

エアバスA3801800は、エミュレーツ、シンガポール航空、エールフランスなとがら開発決定に必要な五〇機の注文を獲得し、二〇〇〇年十一月に開発に取りかかったのだが、開発費の安いボーイング747Xには注文が入らない。

注文の集まらないボーイングは業を煮やし、音速のスピードに近い中型機の開発を先行させるため、二〇〇一年三月末に超大型機の開発をいったん棚上げにすることを発表した。いずれにせよ、二I世紀の初頭には、世界の空を船よりも大きな飛行機が飛び回ることになる。

ジェイエアが西日本で同様な計画を進めている

一方、西日本で同様な計画を進めているのが、ジェイエアだ。広島西飛行場を拠点に、プロペラ機(一九人乗り)でコミューター路線を展開していたが、二〇〇一年の春からCRJ-20Oを導入する。

現状では、五〇人乗りのB737での運航の維持が難しい路線でも、五〇人乗りCRJ機ならば採算に乗せることが可能ともくろみ、二〇〇二年までに四機(さらに仮発注を三機)を導入する。

路線としては、広島-福島、福島-福岡、名古屋-高知や、日航から移管される福島-札幌、名古屋-山形などを予定しているが、CRJ機で採算のとれそうな地方路線は全国に一〇〇程度あると見込んでいるので、新たな路線が期待できそうだ。

しかも幸いなことに、本拠地の広島西飛行場(旧広島空港)にジェット機の乗り入れ許可が下りた。旧広島空港は一部に騒音公害を抱えていることもあって、新空港が開港するにあたって空港を管理する県は、地元と「小型機専用の飛行場として存続する広島西飛行場にはジェット機は就航させない」との約束を取り交わしていた。

しかし、経営を発展させるには広島西飛行場にジェット機の乗り入れは不可欠と考え、ジェイエアは粘り強く交渉を重ねた。

そして、ついに地元の広島市はCRJ機の乗り入れに同意したが、最大の決め于はCRJ機はジェット機ながら広島西飛行場に就航していたプロペラ機(ジェットストリーム)よりも騒音が小さいという事実だった。

このように、ジェット機に対する誤解が解けたことで理解がいっそう進み、市街地から近い空港に定期旅客機が発着すれば、日本の空も非常に便利になる。

五〇人乗りのジェット機

日本で小型機と聞くと、一般にはセスナのような軽飛行機を思い浮かべる人がまだまだ多いようだ。離島の生活路線の飛行機になじみのない都会の人々には、特にその傾向が強い。もうひとつの理由は、大手エアラインが大型機を派手に宣伝し、競って導入してきたために、「大型機ほど乗り心地がよい」とのイメージが定着し、小型機が隅に追いやられていたことによる。

本来は五〇人乗りを「小型機」と呼ぶことはおかしなことである。「小型」「大型」は比較の問題だ。ジャンボ機に比べれば、はるかに「小型」だが、セスナに比べればはるかに「大型」である。現在日本では二〇〇席クラスを基準に、一〇〇-一五〇席クラスを「小型」、三〇〇席以上を「大型」と呼んでいるが、一九五〇年代は五〇-六〇人乗りを大型旅客機と呼んでいた。飛行機の発達とともに大小の使い分けが変化していることをお断りしておく。


欧米ではローカル線だけでなく、幹線でも小型機の需要が多いことから、小型のコミューター機の開発が活発に行われ、機体のサイズは小さいながらも機内は快適で乗り心地のよい飛行機が就航している。特にI〇〇席以下でもジェットエンジンを採用することができるようになって、プロペラ機特有の揺れや騒音がなくなった。機内の気密性が高まって耳の異常もなくなり、地上と変わらない環境が実現するとともに、気流の安定した高空を飛行できるなど、ジェット機のメリットを最大限に活用した機材が実用化した。その典型例が五〇人乗りのカナディアーリージョナルージェット(CRJ)だ。


日本でも航空自由化による規制緩和を利用して、一〇〇席以下の「ジェット機」を使った新しい路線が開発され始めたのは喜ばしいことである。最大の理由は、外国籍や、定年でいったん退職したパイロットなど、大手企業よりもはるかに安い給与でパイロットを採用できるようになったためだ。

規制緩和後、三番目の新規参入エアラインとなったフェアリンクは、CRTJ1100を使って二〇〇〇年夏から仙台i関西空港を一日三便で運航を始めたのを皮切りに、二〇〇二年までに四機を導入し、仙台を基地に小型機による多頻度運航を行う計画だ。

大河原社長は、「大手をデパートとするならば、コンビニ感覚で共存共栄を目指す。日本では小型機で運航すれば採算に乗る市場が未開拓なので、幹線を除くすべての路線を対象にネットワークを広げていく」と抱負を語る。

価格競争はせずに、旅客の利便性の向上を図るという。大型機では就航できない仙台―広島西飛行場(市内にある元の広島空港)、広島西-羽田などのほか、大手の便が少ない路線に一日最低二便を運航し、主に日帰りビジネス客の獲得を目指している。