2015年9月5日土曜日

金融界の国際標準

純血主義の限界をやっと悟ったのか、ようやく邦銀のなかにも、外資系で成功した専門家を役員に迎え入れたり、金融工学の権威である大学教授を招聘したりして投資銀行業務に本格的に取り組む動きが見られるようになった。しかしその程度では、とうていバルジブラケットの投資銀行と対抗できるレベルに達したとは言いがたい。

だが、投資銀行化とは、単なる金融技術の問題ではない。C氏が言うように、日本の金融機関が、これまで体験したことのない異文化集団を抱えこむことを意味する。とすれば、投資銀行化の成否は、「企業文化を米国型に変えること」ができるか否かを問うことでもある。それは可能なのか。また、そうすべきなのか。問題の広がりは金融再編の行方をうらなう次元にとどまらない。投資銀行のカルチャーは、今日、金融界の国際標準とされる英米流の経営システムを極限にまで推し進めたものだからである。

私が、短い間、身を置いた米国の投資銀行ソロモンの物語から始めよう。年末近くのホテルの宴会場。バンドの生演奏が華やかな雰囲気を高める。テーブルにはワインと料理が並び、スタッフの面々は、すでに相当アルコールが入っている。やがて壇上に会長が登り、次々と新任のマネーシングーディレクターの名前を読み上げる。

呼ばれた方は紅潮した面持ちで壇上に駆け上がり、会長と握手して並ぶ。皆、およそ三十代である。そこへ彼らの秘書たちが花束を捧げ、あまり熱狂的とはいえぬ拍手がわく。昇進できなかったスタッフ、もともとその望みのない事務方が自棄気味にグラスをあおる。会長に促されて、昇進組は一人ずつ挨拶を始める。「これで彼女が欲しがっているポルシェが買えます」

九〇年夏、冒頭に記したホアーゴベットの「首切り」を終え、会社の期間損益が黒字に転化したので、そろそろ引退して大学の非常勤講師の口でも探し、静かな生活を送りたいと願っていた私に、米国の投資銀行ソロモンから、東京に銀行を作るので手伝ってくれ、というアプローチがあった。