2012年8月23日木曜日

金日成社会主義青年同盟

なぜこうしたことが起こるのか、不思議に思われるかもしれない。実は、韓国と北朝鮮の情報・工作機関は、下部の担当者のレベルではお互いに情報交換を行っているのが、現実である。北朝鮮の機関の中で軍と工作機関、それに金日成社会主義青年同盟は、組織としてビジネスを行い現金収入を得ることを認められている。金日成社会主義青年同盟も傘下に商社を抱えており、商売を行っていた。その商売を理由に、国家情報院が組織的に近づいたと、北朝鮮では判断したという。

さらにロシア国境に近い地域を担当する第五軍団でクーデター未遂事件が発覚した。これも国家安全企画部からの資金提供があったと金正日総書記に報告された。この他にも、国家安全企画部が多額の資金を使い工作した事件が、数多く報告されたという。

こうしたことから、今回の秘密接触では国家情報院をはずせと、金正日総書記が指示していたという。国家情報院は。それまで再三首脳会談を提案し北朝鮮の統一戦線部幹部との秘密接触をもちかけていた。しかし、金正日総書記は国家情報院との接触を最後まで許さなかった。この結果、朴智元・文化観光相が韓国側の代表として指名された。これについては、朴智元氏は以前から金正日総書記と何らかの面識があったのではないか、との観測も出た。韓国内では、朴智元氏と北朝鮮の特殊な関係についての憶測も流れた。

しかし、これでは国家情報院は組織の存続が危うくなる。懸命な巻き返しを図り、国家情報院の林東源院長は共同声明案作成の秘密接触のため、首脳会談直前にようやく平壌入りを認められた。それまでは、相当のドラマが展開されたはずである。その際に、北朝鮮側に認めさせるために何らかの譲歩や弱みを握られるようなことがあったのではないか、との疑問の声もソウルとワシントンではあがった。

統一戦線部と国家情報院の失敗

二〇〇〇年六月の南北首脳会談実現への秘密交渉では、これまでとは異なる現象が見られた。中国で行われた南北の秘密交渉で韓国側は国家情報院(韓国中央情報部、国家安全企画部)の高官ではなく、朴智元文化観光相が首席代表として、交渉をまとめたのである。北朝鮮側からは、アジア太平洋平和委員会の宋浩敬副委員長が出席したバアジア太平洋平和委員会は統一戦線部傘下の機関であり、北朝鮮ではなお工作機関が対南担当機関であることを示している。

この秘密交渉では、韓国の国家情報院はまったく手を出せなかったのである。日本のマスコミの中には、統一戦線部担当の金容淳書記と国家情報院の林束源院長が、秘密接触で大きな役割を果たした、との報道が見られたが。これは誤りであった。首脳会談の直前には共同声明などの文案作りで活躍したといわれるが、以前に比べると大きく役割を失ったようである。

そんなことはない、との反論があるかもしれない。それは、首脳会談の際に金容淳書記が金正日総書記の横に座り側近であることを誇示したと見られたからである。これは、当然のことである。とりあえず、統一戦線部が対南担当の機関である事実には変化がないからだ。その機関の責任者が、同席するのは別に特別なことではない。ところが、北朝鮮のテレビや新聞では金容淳書記の姿はまったく報道されなかった。金正日総書記が一人で、金大中大統領を相手にしているような姿が報じられたのである。これは、北朝鮮では重要なことである。存在していた人物が、存在しなかったように報じたのである。これには、明確な方針と意図が働いていたことになる。

なぜ、工作機関は首脳会談では出番を失ったのか。金正日総書記が。韓国の国家情報院との接触を禁止したからである。金正日総書記にとってぱ、国家情報院は憎んでも余りある相手であった。金日成主席の死後、国家情報院は北朝鮮の崩壊を目的に各種の工作を行った、と金正日総書記は確信していた。北朝鮮の党機関はもとより軍幹部を多額のドル資金で買収し、北朝鮮の人民軍を使ったクーデターも計画していたというのである。

一九九六年に、国家情報院の前身である国家安全企画部は北朝鮮の金日成社会主義青年同盟の幹部たちを韓国の済州島に招き大宴会を行い数十万ドルにのぼる現金を手渡した。この事実がやがて発覚し、金日成社会主義青年同盟の幹部多数が処刑された。これらの幹部の自宅の壁からは、多額のドル紙幣が発見されたという。