2013年8月28日水曜日

やんばるの森の魅力に吸い寄せられて

味はというと、それほど美味しいものではなかった。ただ、戦後の食糧がなかった時代は重宝したそうである。そのことを「うちな~噺家」の藤木勇人さんに話をすると、「ソレガドウシタ」つて顔をされ、私もよく食べましたよ、と言われたときは返す言葉がなかった。ある年の二月、知人に誘われて八重岳の桜を見に行った。沖縄の桜は、本土の桜のように花びらがひらひらと散らない。椿のようにポトリと落下するそうである。昔の武士がこれを知ったら、さぞかし驚いたことだろう。その帰り際に、なぜか無性にやんばるの森を歩いてみたくなった。

やんばるはいつ行っても楽しい。昔は本部や名護あたりもやんばると呼ばれたが、今は国頭村、東村、大宜味村あたりを指すようだ。たっぷり時間があるとき、私はたいていレンタカーを借りてやんばるに向かう。やんばるの森で車を停め、腰を下ろして森の空気に浸ったり、スダジイ(イタジイ)、オキナワウラジロガシなどの間を彷徨しながら、さまざまな森の声を聞く。気根を垂れるガジュマル、ウロコ模様の幹を持つヒカゲヘゴ、なかでもスダジイは二〇メートルほどの高さまで生長する。ここにはそうした植物がうっそうとした照葉樹の森をつくり、たくさんの生き物をはぐくんでいる。

ちなみに私はこの森で、天然記念物のヤンバルクイナと二度ほど遭遇したことがある。最初は枯れ木の上に腰を下ろしておにぎりを食べていたとき。二度目は森に少し入り、ただぼんやりと木々を眺めていたときだった。十数メートル先を横切っただけだが、動きがのろのろとして何ともユーモラスだった。ヤンバルクイナはつがいで行動するのか、二度ともペアだった。安田にある「やんばるホテル&ファーム」に泊まることもある。このホテルは、ベトナム社会主義共和国と沖縄の友好を祈願し、ベトナムの木材を使って、ベトナムの伝統建築様式で建てられたそうだ。ただ、当時は何となく落ち着かず、一度利用したきりだったが、経営者が変わってから何度か訪れている。裏の畑で食材となる野菜を植えたり、それ以外の食材は地元の安田産にこだわっている異色のホテルだ。

翌日は隣の「安波」という集落の奥地にある「タナガーグムイ」に行った。「タナガー」がテナガエビで「グムイ」が泉のことだから、テナガエビが棲む泉といった意味だろう。駐車場に車を止めてロープをつたいながら降りていくのだが、肉体的にはきついのに、シダ類などの植物群落のなかを通っていく感覚は気分がいい。売店も自動販売機もレストランも何もなく、実に爽やかなのである。下にたどり着けば小さな滝と淵を目にする。この淵だったかどうか記憶が定かではないが、夜になると金髪の娘が全裸で泳いでいるのを見たという噂が立ったそうだ。残念ながら私はまだ目撃していない。

もし沖縄の観光資源を三つ挙げよと言われたら、「やんばるの森」を筆頭に、「城」と「古酒」(泡盛を寝かしたもの)を挙げる。古酒は私の個人的な趣味だからおおっぴらには言えないが、市場には出回らない「古酒」を探して、舌の上に一滴垂らしたときの至福感は喩えようがない。世界中で絢爛と文化が花咲いたところでは必ずうまい酒がある。酒はその土地の文化を蒸留して生まれた液体なのだ。それは泡盛も同じだろう。泡盛でも、とりわけ「古酒」は沖縄文化そのものであると思う。古酒といえば、本部町の謝花良政さんである。謝花さんの本業は自動車修理工場のオーナーなのだが、私か知っているのは裏の顔である。といってもそのスジの人ではない。古酒づくりでは、おそらく沖縄随一と言ってもいいほどの理論家なのである。

ちょっと寄り道して謝花さんのことを語りたい。謝花さんは戦後すぐ自動車修理工場を開いた。ところが、開業してわかったのだが、当時、本部町一帯にはトラックを含めて車と呼べるようなものは数台しかなったそうである。そこで仕方なく、車の修理から馬車の修理に変えた。工場は馬糞の臭いで充満していたという。謝花さんは、工場経営のかたわら、趣味で古酒づくりをはしめた。明日のご飯をどうするかという時代に、古酒をつくろうというのだから、相当変わった人だったのだろう。謝花さんの家の床下に、畳一畳ほどの小さな酒蔵がある。そこには当時仕込んだ古酒が今も眠っている。ご相伴にあずかったのが、瓶に仕込んでから五一年(〇七年当時)も経った超がつく古酒だったが、甕のふたをとった途端、芳醇な甘い香りが部屋にぱっと広がり、思わずうっとりしてしまうほどだった。