2016年4月6日水曜日

「東アジア共同体」と「新華夷体制」の懸念

日本が旗振りをして進めてきた「東アジア共同体」も、この観点から見直す必要がある。「ASEAN+3(日中韓)」を構成国と想定してきたが、大中華に歴史的にヨワイ韓国と、聖徳太子の自立精神を失って「対中謝罪・萎縮外交」を展開してきた日本では、力の強い大国になびく傾向の強い東南アジア諸国は中華に頼る他はない。つまり「東アジア共同体」はそのまま「新華夷体制」になっていく可能性がある。外務省にもいくらかものが見える人間もいるようで、小泉訪印でインド重視戦略を打ち出した日本は、東アジア共同体に新たにインドや豪州、ニュージーランドを加えようと言いだした。アジアで中国の膨張主義にかなりの対抗力を持つ国は、インドと(毅然として対応できるならばという条件付きで)日本しかない。

インドが今世紀に入って東南アジアや中国と急速に貿易を拡大していることは歴然としている。「東方政策」を推進しているインドは、東アジア共同体に入る資格を備えているといってよい。閉鎖的な地域共同体にしないために、アジア化しつつある豪州などを入れることも意味がある。それによって米国も安心する。当面安全保障を米国に依存せざるを得ない同盟国日本は、米国との協調関係を中国のために犠牲にするわけにはいかない。「開かれた共同体」を大義名分として、印、豪、新(ニュージーランド)の加入を推進すべきである。東アジア共同体をEU(欧州共同体)のように政治的・軍事的・文化的共同体にしようという考えにはのめり込まない方がよい。アジアは複雑でEUのような共通の価値観を持とうとしても今のところ無理である。関西弁で端的に表現すれば、誰も反対しない「ゼニ儲け協同体」に徹することが無難であり、賢明な道なのである。

2016年3月5日土曜日

「母親は本心では東京にいきたいのが見え見えだった」 

「不動産投資の管理人」から「死ねということか」までの父親のふざけたセリフは、母親と上の妹が両側から糸を引いていわせていた感じもないわけではない。ないチエを絞った駆け引きが完全に裏目に出て、母親はさすがに意気消沈したようだ。団地で果てるのも仕方がないと腹をくくっていた面があったのは父親で、母親は本心では東京にいきたいのが見え見えだった。

それなら素直にいきたいといえばいいのに、そこは駆け引きせずにはいられない生来の浅墓さである。厳しく突っぱねられてふて寝の度合いがひどくなった。

格別の返事もないまましばらくしたら、突然下の妹が、上の妹から、母親が水も喉を通らない危篤状態になったから急いで駆けつけるようにといってきた、と電話してきた。

そんなはずはない。実は私たちは、ときどき大阪の彼らの主治医に連絡をとって実情を聞いていたのである。上の妹のいうことなど到底信用できないからだが、主治医に電話して聞くと、どこにも身体的な問題はありません、という。要するに仮病でふて寝をしているだけのことらしい。

今日も娘さんが、水も喉を通らない状態だから是非に、というので往診してきたが、脱水状態になど全然なっていないし、多少痩せてはいるものの栄養状態もなんの問題もない。娘さんのいないときにちゃんと飲み食いしているに決まっているからご心配はご無用です。こういう。

ただ、主治医は2つのことを付け加えた。1つは、患者の精神状態が不安定だからソフト・トラッキライザーを処方しているが、精神病のクスリなんか呑めるか、と本人もいうし、ご主人も娘さんもそれに同調して困っている。一時が万事で、医者の指示をまったく守らない。

もう1つは、今日も点滴してくれといわれて、そんな必要はない、点滴すべき状態かどうかは私も医者だからわかる、この状態で点滴なんかしたら保険医療費の審査で私が叱られる、といっても娘さんが納得しない。あの3人はすぐパニックを起こすだけでマトモな判断能力がないから、まだ十分に転居が可能ないまのうちに、東京に引き取ったほうがいいのではないか。この2点てある。

どうせその程度のことだろうとは思っていたが、改めて大阪にいって、これでは主治医も困るし、いずれ団地の人たちにも迷惑をかけることになる、と説得して、こちらの示した線に沿って東京に移ることに話をつけた。

2016年2月5日金曜日

予防外交の重要性

報告書は「停戦が合意されても、守られないことがしばしばある」と指摘し、停戦を回復、維持するために、「従来の平和維持軍よりも重装備で」、「常時出動可能な態勢を取り」、「各国の軍隊で広範囲な準備訓練を受けた」平和実施部隊を利用するよう、その検討を勧告している。

憲章第四〇条に基づくこの部隊は、安保理の権限に属し、事務総長の指揮下に入るが、四三条による国連常備軍や、従来型のPKOとは明確に区別される、としている。報告書では明言していないが、平和実施部隊は、武力行使を前提とする点で従来のPKOの枠を外れ、「停戦順守」に目的と範囲を限定した点で、侵略対応型の国連常備軍とは違う、という中間的な性格を持っていると言えるだろう。

第三の「平和維持」、第四の「平和建設」についても、報告書は多くの提言をしているが、従来の方針を踏襲しているという点では、それほど画期的な案は含まれていない。がリ報告書の重要な点は、第一の「予防外交」、第二の「平和創造」に集約されていることを、ここでもう一度確認しておきたい。

要約すると、ガリ事務総長の提言は、次のようにまとめることができるだろう。まず、「予防外交」にあたっては、国内紛争のみならず、国家間紛争においても、当事者の一方の要請のみで事前に国連要員を展開できる道を勧告したこと。「平和創造」においては、常備軍の創設が望ましいが、当面は実現が難しいと判断したこと。さらに、停戦合意を維持、回復するために、従来型のPKOとは区別される「平和実施部隊」の創設を提言したことだ。いずれも、冷戦時代に発展した従来のPKOの概念を塗り替える内容だと言える。

2016年1月8日金曜日

需要主体は多数の消費者で構成される

そのための社会環境整備として「情報公開」が最も重要である。自分で判断するためには十分な情報を必要とするからである。そして、政府の役割として、絶えず、時代にマッチした普遍的なルールを整備することが重要になってくる。

一九九七年も後一月足らずで終わる。そして初校、再校と校正を重ねて二一月になったが、その間にますます「経済学的世界観」が重要になる事態が現実の日本経済に起こった。大手証券会社の自主廃業、有力都市銀行の破綻、企業と総会屋の結びつき、アジアの通貨危機、海外進出を遂げた流通業者の会社更生法の申請などがここ三ヶ月の間にばたばたと起こったことは記憶に新しい。

これらに共通する要因は、繰り返し強調した「経済学的世界観」を軽んじたということにあることはいうまでもないが、同時に「市場」の動向を無視したという点である。まえがきで本書の基本的な考え方は市場中心であるといったが、ここで「市場がなぜ大切なのか」、また「競争がなぜ必要なのか」ということをもう一度確認しよう。結論を先に述べると、競争を通じて人間一人一人の潜在能力が引き出されるからである。

消費財市場を例にとって「市場」の働きを考えてみよう。抽象的な市場概念を避け、できるだけわかりやすい形で現実昧を持った例を提示する。「市場」には需要主体と供給主体が集まる。需要主体は多数の消費者で構成され、供給主体は多数(またば少数)の企業で構成される。個々の消費者は自分の好みに応して質の良い商品やサービスをできるだけ安い価格で購入したいと思い。

個々の企業は需要主体の好みにあった商品やサービスをできるだけ高い価格で供給しようとする。市場で成立する取引量と価格は市場に参加する需要主体のスケジュール(市場需要曲線)と供給主体のスケジュール(市場供給曲線)が交差する点で決まる。いわゆる右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線の交点で市場価格と取引量(需要量でもあり供給量でもある)が決まるということになる。