2012年9月5日水曜日

工作から外交ヘ・ニ○○○年七月

歴史的な南北首脳会談から1ヵ月半後の二〇〇〇年七月に、北朝鮮は「工作から外交」への転換を示唆する外相会談に応じた。これは、金正日総書記の許可を得たうえでの会談であった。

北朝鮮の白南淳外相は、アメリカのマドレーヌーオルブライト国務長官と、二〇〇〇年七月二八日にタイのバンコクで史上初の米朝外相会談を行った。北朝鮮は東南アジア諸国連合の地域フォーフムに、このバンコクでの会議から加盟したのだった。ASEAN地域フォーラム加盟のためにタイのバンコク入りした北朝鮮の白南淳外相は、アメリカをはじめ韓国、日本など各国の外相と歴史的な外相会談を行ったのである。日本と韓国の外相との会談も、初めてであった。

「国務長官」は、アメリカの外務大臣である。英語で「Secretary of Statejと言うのを直訳して「国務長官」と表記してしまった。最初から「外相」と翻訳すれば、一般の日本人にもわかり易かっただろう。同じように「国務省(State Department)」も、外務省と訳してほしかった。

オルブライト国務長官は、その名前からもうかがえるように、初の女性国務長官である。かつて、ワシントンにあるジョージタウン大学の教授時代に、日本の山本一太参議院議員と河野太郎衆議院議員を教えたことがある。このため、オルグライト長官は、日本訪問の際には必ず二人の弟子と食事を共にした。

山本一太議員が外務政務次官としてワシントンを訪問した際には、国務長官室前でわざわざ記者会見をした。国務長官の執務室前での会見は、普段は各国の外相に対して行われるのが慣例である。外国の次官と共に長官が会見するのは、異例の扱いであった。自分の弟子が日本の外務政務次官に就任したことが、本当にうれしかったという。