2014年5月22日木曜日

エリートと庶民

私か通い慣れた中・東部ジャワ、とくにジョクジャカルタ市のあたりは、ジャワ族の人口が絶対多数を占める地域である。農村ではもちろんのこと、都市でも地元民どうしの日常会話はジャワ語で行われることが多い。同じジャワ島でも、その西北端に位置する首都ジャカルタの住民構成はこれとはまるで違う。

ふつうジャカルタの先住民と考えられているのは、独特のマレー語方言を話すブタウィ族と呼ばれる人々である。しかし、全国各地から移住者を受け入れてきた結果、今日のジャカルタの人口は大小多数の種族の混成と化している。また異種族間の通婚も多く、その結果生まれた子供は特定の種族に対する帰属意識を失う場合も珍しくない。その結果ジャカルタでは、特定の地方語ではなく、ブタウィ語の影響を多少受けたインドネシア語が巷に飛び交う日常語となっている。

ジャカルタでの私の勤務先となったインドネシア大学日本研究センターでも、スタッフの種族別構成は多様だった。教職員あわせて三十数名のうち、人数がいちばん多いのはジャワ族だったがその比率はせいぜい三割程度、しかもそのうち何人かはジャカルタ生まれでジャワ語は話せないのである。インドネシア大学のキャンパスのある首都近郊のデポック市で、私はこののち一九九九年に日本研究センターの研究員たちと、新興住宅地住民九〇〇世帯ほどを対象とする社会学的調査を行った。その調査結果を見ても、種族別人口比率は、ジャワ族三四パーセント、ブタウィ族二六パーセント、スンダ族一六パーセント、ミナンカバウ族八パーセント、バタック族三パーセント、その他一三パーセントとバラエティに富んでいた。

ジャカルタで強烈に印象づけられたことの二番目は、エリートと庶民の間の所得水準と生活様式の格差の大きさであった。第二次大戦後の高度経済成長を経る間に、農村と都市、また大企業と中小企業の間の所得や生活水準の格差が縮小し、国民全体の教育水準が高まった現代日本では、「知識人と大衆」「エリートと庶民」といった二分法で国民を上下に分類する用語法はほとんどリアリティを失った。

いわゆるバブル経済期以降、日本における社会階層間の格差はふたたび拡大または固定化する傾向にあると言われるが、その格差の程度は戦前期日本の場合とは比較にならない。しかしインドネシアでは、「エリートと庶民」という二分法は、今でも鮮明なリアリティを保持している。エリートと庶民の乖離という二極化現象はインドネシアの社会全体に共通するものだが、ジャカルタではそれがとくに視覚的にいちじるしい。たとえばそれは、都市社会の空間的構成に端的に現れる。

2014年5月2日金曜日

民主党逆風は中国べったり路線

≪もはや組織政党の体なさず≫

菅直人首相(民主党代表)が20日、小沢一郎元党代表に、政治倫理審査会への出席を求めたのに対し、小沢氏はこれを拒否した。菅首相は応じない場合、政倫審で出席を求める議決をせざるを得ない旨を述べたが、小沢氏はそれにも「出席しない」とはねつけた。

これが、鳩山由紀夫前政権の失政の責任を負って幹事長を辞し、「一兵卒」となった政治家がとる行為なのか。そもそも、民主党は組織政党といえるのか。

国民世論の大多数は小沢氏が国会で説明すべきだと考えている。12月14日付の産経新聞では、70・5%が「国会招致すべきだ」と答え、85・9%が小沢氏は招致されたら「応じるべきだ」と答えている。同日付の朝日新聞では、「国会で説明すべきだ」が68%、小沢氏をめぐる民主党の対応を「評価しない」が83・8%に及んでいる。同月20日付毎日新聞も「国会で説明すべきだ」が77%に達している。これに対し、小沢氏は「やましいことは一点もない」「私が政倫審に出席すれば、その先の国会運営に展望が開けるのか」などと開き直っている。“小沢問題”は国会運営の一コマではなく、小沢氏の政治家としての倫理観を問う問題だ。一点の非もないなら堂々と出席すべきである。

小沢氏は最近の民主党凋落(ちょうらく)で現執行部を非難しているが、小沢氏の行動こそがその一因だ。茨城県議選、福岡市長選など地方選挙は民主党のベタ負けで、党勢回復もおぼつかない様相だが、握手をして回る小沢式選挙運動が通用する場面だとでも思っているのか。

≪外交とカネで風はやんだ≫

風がやんだのである。やんだ理由は明白。カネと外交である。

鳩山政権は75%の支持率からスタートし、半年で20%台まで急落した。最大の原因は日米関係を空洞化させ、国民を不安に陥れたことだろう。日米同盟は、鳩山氏の「普天間は県外」、小沢氏の「米軍のプレゼンスは第7艦隊で十分」という発言で内実が大いに毀損(きそん)した。支持率急落で「これでは選挙にならない」と急遽(きゅうきょ)、菅政権に切り替え、支持率は65%程度に戻したものの、今や20%そこそこにまで落ちている。

落ちた原因は、内政で見るべきものがないのもさることながら、中国に阿(おもね)りすぎた結果だと断じてよい。中国は日米離間の隙をみて尖閣諸島沖の漁船衝突事件を起こした。その犯行の証拠ビデオを、仙谷由人官房長官が中国側の要求で“密封”した。鳩山氏の東アジア共同体構想、小沢氏の600人訪中団。中国べったり路線は国を危うくすると国民は知ったのだ。

たまたま12月18日発表の内閣府の「外交に関する世論調査」で、「日中関係は良好ではない」との回答が急増、過去最悪の9割近くになった。中国に「親近感を感じない」も、8割近くに達した。

米国離れをして中国に近づき、日米中の「正三角形外交」を形成する。あるいは困ったときには国連に泣きつく「国連中心主義」などというものは、全く成り立たないことが分かった。民主党外交への不安が支持率を下げていると、小沢氏は認識すべきだろう。

原口一博前総務相は小沢氏を政倫審に出すべきではない理由として「推定無罪」と言っていたが、問題のすり替えというものだ。強制起訴は政治資金規正法違反(虚偽記載)事件であり、新生党、新進党を解党した際の政治資金は国費であり、それがなぜ小沢氏個人のものにされたのかはぜひ、聞かねばならない。原口氏は「民主党を政権に導いた恩人は守らなければならない」旨も述べている。政治に個人的な恩情を持ち込むとは何事か。こういうのは政党ではなく、「徒党」というのである。

≪今角栄の「一兵卒」民主に暗躍≫

小沢氏は現代で最も田中角栄的生き方をしている人物である。政界はこの20年、“角栄的なるもの”を成敗するために、政治資金規正法を変え、選挙制度も変え、派閥政治を退治してきた。小沢氏は正しいことが立証されなくとも「オレは正しい」と強情を張る点で、田中角栄氏そっくりだ。

角栄氏は自民党を離党し、周辺居住者となっても自民党内に140人に及ぶ田中派を養った。ただの無所属議員になれば、検察に対して無力になると信じていたようだ。小沢氏が民主党と合併したときの手勢は30人。その後、選挙のたびに手勢を増やして今や150人。小沢氏は党内党の如(ごと)き集団をこしらえた。この集団はいま、検察への盾になろうというのか。

両院議員総会の開催を迫って党執行部を取り替えようという勢いだが、頭目の小沢氏は来年1月には強制起訴されることが決まっている。よしんば司法の場で無罪になっても、国民は小沢氏を卑怯(ひきょう)で潔くない人物とみるだろう。

中曽根康弘氏、竹下登氏などは、疑惑をもたれれば大物政治家の信用が傷つくと自覚して、国会の場でそれを晴らしてきた。小沢氏は倫理感に欠けている点で党内実力者たる資格すらない。こういう小沢氏が暗躍する民主党に将来はないと知るべきだ。