2015年10月6日火曜日

「難民条約」の目的

一九五一年に作成された「難民条約」は、国連難民高等弁務官制度とともに国際的な難民保護制度の主柱の一つであるというだけではなく、難民条約は、ある意味ではより基礎的である。難民条約は、その加入国に対して、難民保護に関する様々な事項について一定の義務を課している。難民保護は、結局のところ、各国がその領土に、永続的にまたは一時的に受け冬れることに始まるのであって、UNHCRの任務がいくら重要だといっても、それは、各国による保護の調整と、せいぜい、とりあえずの物質的援助を行なうことができるにすぎない。国連は、各国に対して、その領土に難民を受けいれるよう、命令したり、強制することはできないのである。

民条約は、難民保護のための「マグデ・カルタ」である、としばしばいわれる。そのようにいわれるだけの重要な原則を、難民条約は含んでいる。しかし、ジョン英国王が署名した本当のマグナパカルタが、民主主義の、完成された諸原則であるという理由によってではなく、国王の権力に対する封建貴族の抵抗の論理が民主主義の後の発展の源流となったという理由で、今日高く評価されているのと同様に、難民保護のための、この「マグナ・カルタ」も、難民保護に関する完成された諸原則の体系ではなく、より整備された難民保護原則が、これを基礎として今後、発展することが期待されるのである。見方をかえていえば、難民条約には、なお様々な問題点が残っている。

世界全般の状況をみると、迫害を理由とする難民ばかりではなく、内戦、内乱、深刻な政治的混乱、極度の貧困、飢餓状態など様々な理由で転々と移動する難民が生じている。実際に生じた多数の難民が、必ずしも迫害を理由とする難民ではないと推察される場合でも、難民条約への加入がしばしばで国際会議の結果、未加入国に呼びかけられるのも、難民保護活動についての、難民条約による精神的な支えが期待されているからである。

一九九〇年八月末現在で、難民条約または難民議定書の両方、またはいずれか一方に加入している国は、一〇七力国に達している(両方に加入している国一〇〇力国、難民条約だけに加入している国三力国、難民議定書だけに加入している国四力国。巻末付表参照)。他方、ユーゴスラビアとハンガリーを除くソ連・東欧諸国、日本、フィリピン、中国と中近東の一部を除くアジア諸国、多くの中米諸国が、現在も未加入のままである。

難民条約は、UNHCRの他、西側諸国を中心とする二六力国の政府代表、二九の非政府組織(NGO)代表と二つの国連専門機関によって作成された。各加入国が条約実施についてUNHCRの監督に服することが定められていることから示唆されるように、難民条約は、難民高等弁務官制度と制度上、車の両輪のごとく密接な関係におかれている。また別の見方をすれば、両者は共通の政治的背景のもとに成立した。

すでに説明したように、UNHCRの制度では、その発足の当初、第二次大戦前からの難民と戦後のソ連・東欧難民が、その保護の主たる対象とされた。この制度でも、難民条約でも、保護の対象として「迫害をうける者」が掲げられているが、西側諸国政府の見方によれば、ソ連・東欧では、人々が祖国を脱出せざるをえなくなるような「迫害」が行なわれている、というのであった。このような政治的見方が、「迫害」とトう抽象的な、しかしまた普遍的な言葉のオブラートに包まれた。