2014年10月6日月曜日

主体の喪失可能性を意味する

いやもっと言えば、本当はむらの主体性の喪失をこそ、人々はみな恐れているのだ。ここで主体としてのむらについて、より突っ込んだ議論を行っておく必要がありそうだ。しばしば言われるように、日本の社会においては、欧米社会に比べて個の主体性が弱い分、個人よりも集団=社会的単位が主体性の源泉になってきた。日本では、どうも本来、個人よりも、こうした集団の方が重要なのだ。集団を通じることによってのみ、主体となりうると言うべきかもしれない。その集団の核にあるものとして、戦前までの社会学では、「家」「村」および「国」がとくに取り上げられてきた。これに加えて戦後は、「企業」が擬似的な家として広く展開されている。

むろん、むらむらや家々の間には、過去の歴史的経緯や分岐の関係などから、本家と分家のような非対称の関係がっくられもする。しかしまた同時に、それらが主体である以上、その意志決定権は、基本的にはそれぞれに独立し、尊重されてもきた。こうした考え集団中心主義とでも言おうかは、現在でも日本の基本的な社会原理として生きており、人口の多寡にかかわらず、同格の社会的主体は、同等の権利を持ち、例えば都道府県の間、市町村の間には、それぞれを尊重する態度が貫かれてきた。むら(集落)もまた、一つ一つが独立した主体である。そのむらの限界化・消滅可能性の問題とは、それゆえ、主体の喪失可能性を意味することになる。

そして主体であること、自分自身で自分自身を決定することができることは、「よく生きること」と深く関わる問題だから、それを維持しようという努力があるのも当然のことであり、また、むやみにその解消を他の主体が口にするべきでもないわけだ。ましてそれを、別の主体に吸収統合してしまったのでは、問題の解決とはほど遠いことになる。社会的主体はあらためでそれをIからつくり出すのは非常に難しく、現在では企業や非営利団体などの法人くらいしかない。企業でさえ、ある業種の形成にはそれに必要なタイミングがあり、機会を逃せば新たな主体は生まれない。例えば、この日本で新しい自動車生産企業が、今後、一から形成される可能性はほぼないだろう。そして同様に、我々はもはや、「新しいむら」を興す能力をすでに持たないようだから、いまあるむらだけを前提に、今後の農山漁村の姿を考えていかねばならないことは確実だ。

とはいえ、社会的主体の間には、横の連携とともに、縦の関係もある。そして、日本社会のもう一つの大きな特徴は、この縦の関係が支配-従属の関係を含み、上位と下位がヒエラルキー状に構成されている点にある。各集落(むら)にとって、すぐ上位の主体は、基礎自治体(市町村)である。そして基礎自治体はさらにその上に、県、国をおいてきた。こうした上位機関のうち、暮らしのことを一緒に考え、暮らしの側から社会を変えていく力になるのは、やはり市町村などの基礎自治体である。県や国が、集落にとっては全くの外側に位置するのに対し、基礎自治体だけが唯一、暮らしの側から発想し、集落とともにものを考え、実践できる、身内としての上位主体である。言い換えれば、暮らしや集落の側からすれば、最も身近な公であり、クニだと言えよう。

しかしながら、基礎自治体と、集落・住民との間には、戦後の歴史の中で、単なる支配従属を超えた、非常に強い統制と依存の関係が形成されてもきた。かつ、自治体は自治体でこれまで、その住民や暮らしよりもむしろ、さらに上位にある県や国の顔色ばかりをうかがい、地域住民の自治体という面は薄れて、国や県の立てた政策を現場で請け負う、下請け行政機関に甘んじてきた。二〇〇〇年代の構造改革で、こうした関係は大きく変わらざるをえなくなっている。いま各地の過疎自治体で行われている、集落や住民との間の真のパートナーシップの模索は、せっぱ詰まってきた基礎自治体の現実を表している。筆者はこれを、上位の県・国との安定的な関係が望めなくなってきた中で、自治の原点に戻って始まる、暮らしの側からの地域政策形成の端緒と見たい。鯵ヶ沢町の例をはじめ、本書で示した各地の事例でもそうした切迫感がひしひしと伝わってきたはずだ。