2013年11月5日火曜日

国の奥庭と自動車道路

その頃国王が参拝することになり、これを機会に道を舗装しようと道路局が工事を始めた。それを聞きつけた国王は、それを中止し、実際に自らお参りするときには、幹線道路に車を止め、そこから徒歩で往復した。この件が象徴するように、国王は伝統的な生活形態を尊重し、利便さだけのために自動車道路を建設することをよしとしなかった。チメーラカンヘの道は、今でも舗装されておらず、誰もが歩いてお参りしている。ブータンの東北端にブムデリンという開けた谷があり、中央ブータンのブラックーマウンテン山系のポプジカと並んで、世界的に珍しいオグロヅルの越冬地として有名である。

ここは自動車道路の終点タシーヤンツエから歩いて二時間ほどであるが、途中の地形からして自動車道路の建設は、工費の面でも、技術的にも何ら問題がない。それ故に住民は、すでに自動車道路が通じて、近代化・経済発展の恩恵に浴した他の地域に取り残されないように、自分たちの谷まで自動車道路が延びることを一九八〇年代に嘆願し、予算も通った。この時点で、国王は自ら徒歩でこの谷を初めて訪れ、住民と直接話し合った。国王は、自動車道路が谷の住民にとって今本当に必要かどうかを、もう一度住民が協議するよう諭した。そして、国王としては、国全体の環境という観点から、ブムデリンをブータンの奥庭として現在あるがままの姿で残したいこと、そして教育、医療、通信を始めとする生活のいかなる分野でも、自動車道路がないことで、他地域に比べ不利になったり、遅れをとることがないよう政府に措置を講じさせることを約束した。

その結果、住民は自動車道路建設の嘆願を取り下げた。これもまた、ブータンの近代化のあり方を象徴している。ドルジエーワンモ・ワンチユック王妃は前記の自著で、こう述べている。「ブータンは、外の世界や二一世紀を寄せっけないようにしているわけではけっしてありません。わたしたちは繁栄を欲していますが、今まで育まれてきた伝統と文化を犠牲にすることはできません。わたしたちは近代技術の恩恵を蒙りたく思っていますが、それはわたしたち自身のペースで、わたしたちの必要に応じて、わたしたちがそうすべきだと思った時に実施しています。ですから、飛行場を建設し、定期飛行機便を就航させたのも一九八三年になってからですし、一九七四年に二百人だった観光客を、二〇〇五年には一万四千人にと徐々に増やしただけです。テレビ放送も一九九九年になってからしか導入しませんでした」

二〇〇七年現在、ブムデリンの入り口までの自動車道路は建設中である(ただし、谷の中までの建設計画はない)。それは、開発計画の決定権を持つブムデリンの住民自身が「わたしたち自身のペースで、わたしたちの必要に応じて、わたしたちがそうすべき時」だと思ったからである。同様なことは、プナカの北に位置するガサ県に関しても言える。ガサは県内全域三五〇〇メートルを超える高山地帯で、’住民も少なく、ほとんどが牧畜民である。自動車道路の建設は、不可能ではないが、工費は巨額である。しかし何よりも、自動車道路が地域住民にもたらす恩恵がほとんど考えられない。言ってみれば、建設することだけが目的の自動車道路となり、無駄としか思えない。

それ故に、住民との話し合いの結果、ガサ県は全国二〇県のうち、自動車道路がない県として残すことになった。もちろんブムデリン同様、教育、医療、通信といった生活にとって必須の分野では、他県とくらべて遅れの出ないように最大限の配慮がなされている。さらには、この高山地形を積極的に活用して、県として経済的にも発展する可能性が探られた。牧畜の効率化、畜産物の生産性の向上と並んで、奨励されたのが薬草・薬剤の栽培、採取である。ブータンは、チベット文化圏では古来「薬草の国」として知られているように、汚れのない高山地帯に生育する豊富な種類の薬草で有名である。